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| 15:35 |
Poland 負の遺産 -Auschwitz-
2009.06.29 Monday


週末を利用して、ポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を見学してきました。ここは昨年ベルリン郊外のザクセンハウゼン強制収容所を訪れた際に、ドイツにいる間に必ず来ようと思っていた場所。

強制収容所内は見学無料。(遺族の方が訪れる際に入場料を取るのはおかしい、という事から)
でも、ちゃんとガイドの説明を聞きたいと思い、事前に唯一の日本人ガイドの中谷剛さんにアポを取ってから行きました。





アウシュヴィッツ強制収容所の入口ゲートにある有名なドイツ語の言葉、
"ARBEIT MACHT FREI"―働けば自由になれる―。
もちろん全くそんなはずはなく、ここでの自由はすなわち"死"。

この文字をよく見ると、ARBEITの"B"が上下逆さまになっています。
このゲートを作らされたのも収容者たち。せめてもの抵抗としてわざと逆さまに作った、と言われています。

アウシュヴィッツは我々のような観光客も多く、2か所目の強制収容所見学という事もあり、少しは免疫がついていたせいか、アウシュヴィッツ強制収容所内は思っていたよりも明るく見え、外観からは暗く重苦しい雰囲気は感じられませんでした。

でも、展示物のある建物内に入った瞬間に固まりました。
目の前にある壁一面のガラスケースの中に収められていたのは
無数の人毛。

ユダヤ人の髪の毛です。ドイツ軍はこれを他の繊維と一緒にして布を織っていたんだそうです。そして"Giftgas"(ドイツ語で毒ガス)と書かれた無数の空き缶の山。
山積みになった義足や名前の書かれた鞄。無数の靴。

聞くこと、見るものすべてが想像を絶する内容ばかりで、今までなんとなく歴史を知っているような気でいたけれど、やっぱり全然知らなかったんだ、と思わされました。それでも、その全てが今まさに自分が立っているこの場所で起きたんだ、という事は全然想像ができないし、実感が沸きません。



高圧電流が流れていた鉄条網。


「死の壁」―この壁の前で多くの収容者が銃殺されました。



洗面所の壁に書かれていた歯ブラシ、歯磨き粉、髭剃りなどの絵。
これはナチスドイツが収容者に書かせたもの。
安定した労働力を供給するためには収容者にすぐ死なれては困る。こういう作業をさせる事で、少し明るい未来があるような気にさせる。でも、あまり長生きされても増え続ける収容者を収容しきれないために、カロリー計算までしてギリギリ2、3か月生き続けられるように彼らの心理状態と体力をコントロールしていたのです。


これがトイレ。プライバシーなど皆無。ほとんどの人が衰弱の上に病気をかかえていたにもかかわらず、トイレに行ける時間は決められていて、しかも一人あたりに許された時間はほんの数秒しかなかった。あとは1段に5、6人は押し込まれていたというこんな粗末なベッドで垂れ流すしかありません。



それでも、ここに連れて来られた人の7、8割はそんな生活を経験することもなくいきなりガス室に送られたのだとか。しかも、収容者が働けるかどうか、つまり、生かすか殺すかを選別したのは、本来命を救う仕事のはずの医師だった―。

次の写真は"ガス室"の跡。


なぜこんな状態かというと、ナチスドイツが撤退の際に証拠隠滅の為に爆破したから。
そんなことしてもバレバレなのに…。

ガス室で無残に殺されたり、病気や栄養失調で亡くなったおびただしい数の遺体は、隣接する焼却炉で焼かれ、"効率的に処理"されていったのです。

なぜ、そんな惨いことができたのか?というと
その収容者の管理、処理もすべて収容者が行っていたから。
ナチスドイツはその惨状を"見ていない"のです。

一言に収容者といっても、ここに収容されていたのはユダヤ人だけではなく、政治犯、共産主義者、同性愛者、ポーランド人、ロマ(ジプシー)がいて、その中でもそれぞれ待遇が違いました。全員囚人服に色分けされたワッペンのようなものを付けさせられ、区別されていたのです。

ナチスドイツは自分たちの手は汚さないように、惨い事は囚人同士にやらせる。囚人にとってもそれが"自分が生き残るための手段"であったが故に、やらざるを得ない。
人間の心理って怖い。

そういう人間の心理をうまく利用した管理システムや、
効率的な生産システムに関しては、もしもナチスドイツが企業ならば、とても優秀な企業であったと思います。(非人道的な事を除いて)

でも、「これだけ優秀なことを思いつき実行する力があるのなら
何故それをもっと平和で人の為になることに使えなかったのだろう?」

と強く思いました。


目を背けたくなるような光景が次々と出てくる場所でしたが、
やはりここは実際に行ってみて良かったと思います。

ガイドの中谷さんが仰っていたのは、「実際にその現場を見ていない私達が当時の状況を完全に理解することはできない。だって"見ていない"んだから。」ということ。

しかし、収容者たちの遺品である靴の山の前で
「たとえばここに8万足の靴があります。これをただの統計上の数字として見るか、実際にここで見る、のとでは全く違う。ここで実際に見たものから何かを感じ取って欲しい―。」と仰っていました。

中谷さんの説明は「こんなひどいことがあった、かわいそうだった」というようなものではなく、淡々と事実を説明しながらも、常に私たちの心の中に問題提起をしてくれる、そんなガイドさんでした。自分たちで回っただけでは知りえない、貴重な時間を過ごすことができてとても感謝しています。
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Travel ・Poland | 13:00 | Comments(4)

Comment

お題があまりにも難しすぎて
コメントしようか悩みました…

私もいつか一度行ってみたいと思っています。
よいガイドさんについてもらえてよかったですね
むっちぃ URL | 2009/06/30 21:52 [ Edit ]
>むっちぃさん
内容が内容なので、私もこの記事を書くのにすっごく時間がかかりました・・・。もっと、もっと目を背けたくなる場面が沢山ありましたが、とても写真に残すことはできませんでした。。

日本人の見学者はとても少ないんだそうです。
やはり地理的な遠さもありますし、なかなか進んで「負の歴史」を見に行くというのは勇気が要りますもんね。。

もしもいつか行かれる機会があれば、ぜひ中谷さんにガイドをお願いすることをオススメします!
Yukky | 2009/07/01 21:17 [ Edit ]
私もいつか絶対行ってみたい。
なんかもうこのエントリ読んだだけで涙が出てきたから
実際目の前にしたとき普通でいられない気がすごくするけど・・・。

あと、やはり日本とドイツって似ているな、となんとなく重ねてしまうところがある。
何か信じるものがあるときに良くも悪くも何でも犠牲にできたり、妙に真面目にそれをできるというか。。
同盟してたのも妙に納得できちゃうんだよね。

貴重なレポ、興味深く読ませてもらいました。
きんちゃく | 2009/07/01 23:52 [ Edit ]
>きんちゃく
実際のアウシュヴィッツの外観は、驚くほど穏やかで静か。
あまりにも今が平和過ぎて、どんなに想像力をかきたててみても
当時の様子は全く実感できない。
それくらい想像を絶する内容でした。。

記事にも書いたけど、あれだけの事を国を挙げて行うって
物凄い統率力だと思った。
体験してない私が言っても薄っぺらい言葉になっちゃうけど、
本当に、違う道にその力を使えば良かったのに、って思うよ。
Yukky | 2009/07/03 02:13 [ Edit ]






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