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2024.04.24 Wednesday
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| 00:24 |
エジプト旅行記③ルクソール西岸
2008.12.26 Friday
古代エジプトではナイル川東岸は太陽が昇る「生の都」、西岸は太陽が沈む「死者の都」とされており、生きている人が使う神殿は東岸に、死者を祀る墓や葬祭殿は西岸にあります。

この日は王家の谷と呼ばれる岩窟墓群へ。
古代エジプト人は死後も来世において現世と同じ生活ができると考えており、いつ魂が戻っても生活に困らないよう、ミイラとして肉体を保存し、墓の中に副葬品として生活に必要なものが一緒に埋葬されたそう。
しかしそれらの墓はことごとく盗掘に遭ってしまったため、新王国時代以降は深い谷の中に墓を隠したのだそうです。

この一帯には60以上の墓が発見されており、つい1か月ほど前にも新しい墓↓が発見されたとの事。



この場所が墓に選ばれたのは遠くに見える三角の山をピラミッドに見立てているという説もあるらしい。

王墓のうちのいくつかは内部を見学する事ができます。
山の中に深く穴を掘って作ってある墓なので、ピラミッドの見学と同じように中腰で進むハードな通路のものもありました。
墓内は綺麗な壁画やレリーフがはっきりと残っているものも。電気もない時代に深い穴を掘って、さらに美しい装飾を施すなんて、ここでも当時の技術の高さにため息が出ました。

墓泥棒を防ぐための王墓群もその多くが盗掘に遭ってしまった中、ほとんど被害に遭わなかったのが有名なツタンカーメンの墓です。
墓の内部ではミイラも見る事ができました。→勇気のある人はコチラをClick



内部で発見された財宝の数々はカイロの博物館で見学してきました。
写真撮影一切禁止のため画像はありませんが、ミイラの上に黄金のマスクが被せられ、それが3重の人型棺に入れられ、さらにそれを覆う3重の大きな部屋のような厨子に納められていました。

その他にも眩いばかりの財宝の数々が副葬されていましたが、ツタンカーメン自体は若くして亡くなった王で権力はあまりなく、墓は質素だったと言われているそうなので(その為にあまり盗掘に遭わなかったとも)もっと権力のあった他の王の墓は一体どれだけ豪華なものだったんだろう、と思います。


エジプト旅行記④へ続く





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Travel ・Egypt | 22:00 | Comments(0)

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